公式ホームページ/佐久総合病院
<映画の感想!まとめ>
あなたにとって地域とは?そして医療とは?
プライマリヘルスケアの先駆を為す「信州の赤ひげ」!
東田シネマvol.7は、若月俊一医師と長野県の佐久総合病院の軌跡を追うドキュメンタリー『医す者として』を上映します。「医す」"いやす"と読みます。
2015年6月19日(金)20日(土)21日(日)の3日間、それぞれ3回の上映です。
1. 13:30〜 2. 15:45〜 3. 18:00〜
一般の前売予約チケット1000円/当日1200円 大学・高校500円
<ご予約はこちら!>
「農民とともに」から「地域住民とともに」へ
長野県佐久市(旧南佐久郡)佐久総合病院。終戦5か月前、信州千曲川沿いにある小さな病院に青年医師・若月俊一(1910~2006)が赴任したことから、この物語は始まる。周辺の農山村への「出張診療」、「全村健康管理」(今でいう健康診断を軸にした健康予防管理活動)を全国に先駆けて行ってきた。また、健康に対する啓蒙活動の一環として取り組んだ「演劇」や「病院まつり」は地域づくりにつながっていく。
昭和の高度経済成長以降の農村地域の過疎・高齢化には、いちはやく対応し、医療と福祉の垣根を越えた活動を展開し、住民のニーズにこたえる=「二足のわらじ」(高度専門医療と地域密着医療)を履き展開してきた佐久総合病院。その実践につらぬかれた志は、いまも多くの人々の心をひきつけている。しかし今、そうした活動を続けてきた佐久総合病院は再構築の時代を迎えている。はたして若月俊一が築いた農村医療の歴史は引き継がれていくのだろうか?
~30万フィートにおよぶフィルム~
佐久病院映画部では、1950年代から30数年にわたり、出張診療、手術、患者会、啓蒙演劇、病院まつり…など、ありとあらゆる取り組みを16mmフィルムで記録し続けてきた。その量は約30万フィートにおよぶ。歴史的にも貴重なフィルムと、当時を知る人々、現在の病院関係者らの証言とともに、21世紀のいま、未来ヘ向けた映画としてよみがえる―――
若月俊一医師(1910年6月26日~2006年8月22日)
東京大学医学部卒。佐久総合病院の院長としておよそ半世紀にわたり活躍。住民と一体となった運動としての医療実践に取り組み、農村医療、農村医学の礎を築いた。また外科医として先駆的な脊椎カリエスの手術などもおこなったことでも知られる。その活動は、日本のみならず、国際的な広がりを見せ、東洋のノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞(1976年)。農民の生活に密着したフィールドワークや研究をおこない、日本のみならずアジア諸国の農村医療のモデルとなっている。
<佐久総合病院ホームページより>
佐久総合病院の歩み
若月俊一の個人史〜農民とともに〜
若月イズムから何を学ぶか
若月俊一先生への想い
若月俊一先生が記録した農村
若月俊一の遺言発刊
<佐久総合病院ホームページより>
佐久総合病院の歩み
若月俊一の個人史〜農民とともに〜
若月イズムから何を学ぶか
若月俊一先生への想い
若月俊一先生が記録した農村
若月俊一の遺言発刊
2011年/108分/HD-CAM/16:9/カラー/日本/ドキュメンタリー
文化庁映画賞<文化記録映画優秀賞>/日本ペンクラブ<文化映画部門第2位>
キネマ旬報ベスト・テン<文化映画第7位>
文化庁映画賞<文化記録映画優秀賞>/日本ペンクラブ<文化映画部門第2位>
キネマ旬報ベスト・テン<文化映画第7位>
助成:文化芸術振興費補助金
協力:佐久総合病院 長野県厚生農業協同組合連合会 公益財団法人 トヨタ財団
制作協力:井出弘枝 井出孝 菊池智子 小林栄子 佐々木都 川妻干将 若月俊一先生生誕百年事業実行委員会 井出民生 井出勉 佐久総合病院 老人保健施設 JA長野八ヶ岳 株式会社ツガミ
テレビ東京 語り:山崎樹範 制作:若月健一 小泉修吉
監督:鈴木正義
撮影:岩田まき子 伊藤硯男 澤幡正範 今井友樹 満若勇咲
音効:園田芳伸
録音スタジオ:東京テレビセンター
編集スタジオ:MJスタジオ
共同制作:佐久総合病院映画部 農村医療の映像記録保存会
企画制作:グループ現代
主催:東田シネマ運営委員会/協力:地球交遊クラブ 北九州市環境ミュージアム