「お山の杉の子」は疎開学童の愛唱歌だった・・・



東田シネマvol.57は、映画 『 杉の子たちの50年 学童疎開から明日へのメッセージ 』を上映します。

08/23(金)10:30/13:00/15:30/18:00
08/24(土)10:30/13:00/15:30/18:00
08/25(日)10:30/13:00/15:30/18:00

09/06(金)18:30  北方シネマ上映会へ!
北方シネマの会場は、小倉北区の北九州市立大学北方キャンパス本館A-101です。
上映後は、八幡で空襲を経験した河原香照さん(平野塾)と戦争体験を取材した松田幸三さん(毎日新聞)のお話があります!

料金:
1000円/予約一般
1200円/当日一般
0500円/大学・高校生
1000円/シニア(60歳以上)
1000円/障害者手帳をお持ちの方

会場:北九州市環境ミュージアム


学童疎開という切り口でとらえた昭和史の断面


 昭和19年8月4日、第一陣が出発した学童集団疎開は、全国で40万人を上回る規模になった。引率教員の一人は、子供の生命を預かる責任が第一、食べさせることが第二、教育は三番目だったかな、と笑う。遠足気分で出掛けた子供たちにも厳しい日々が始まった。到着の日から帰京するまでの6ヵ月間一日も欠かさず、朝、昼、晩の献立を書き込んだ男の子の日記。上級生から徹底的にいじめられた三年生の、当時と現在のいじめに対する告発。その中で、疎開先の娘にあてた戦地の父からの細やかな愛情に満ちた手紙が、疎開地の美しい風景とあいまって心を打つ。


 一方、安全なはずだった疎開だが、東南海地震、三河地震と相次いだ大地震が多くの子供の生命を奪った。或いは、機銃掃射で地元の少女の即死に直面し、自分達も宿舎のお寺から焼け出され、そのショックから立ち直る間もないまま、3月10日の東京大空襲で孤児となった東京・本所からの疎開児たち。その中での最大の悲劇的事件は、敵の魚雷攻撃を受けて沈没し、770名余りの学童が犠牲となった疎開船「対馬丸」の遭難であろう。高齢化した遺族たちの心に未だ生々しく残る深い傷痕、亡くなった人たちに申し訳ないという思いを抱き続けてきた生存者たち。


 終戦。皆が解放感に浸るとき、疎開先で孤児になった子供たちには厳しい戦後の日々がやってきた。その中を、精一杯生きて来た、この50年の彼らの姿が涙を誘う。


明日に何を残し、伝えるかを考えるドキュメンタリー映画


 第2次世界大戦中、イギリやドイツにも組織的な学童疎開があり、イギリスでは、それが戦後の児童福祉政策に影響を与えたといわれている。学童疎開は、一見限られた地域や世代の特殊な体験のようにみえるが、どの国の子供たちにも心の底に何かを残し、考え合わねばならない問題があった事に気付く。日本でもこの世代には、学校や疎開先や学年を超えた不思議な連帯感がある。戦後、文学や劇映画でもしばしば取り上げられてきたテーマであるが、歴史の証言者としての存在をより明確にする本格的な記録映画はなかった。この映画は、その世代がまるごと生きた「昭和」を問うとともに、自分たちの体験から、明日に何を残し、伝えるかを考えるドキュメンタリー映画である。


 製作母体は、疎開世代の女性たち。


 映画は、疎開地訪問から始まり、外国を含めた疎開の政策と経緯、疎開生活、そこでの悲劇的事件、孤児たちの戦後、そして疎開が残したもの、伝えるものは何か、と展開。疎開学童、引率教員、寮母、受入れ側など30数人に及ぶ証言を、現地ロケを交えながら綴っていく。単なる疎開物語ではなく、学童疎開という切り口でとらえた昭和史の断面であり、戦後50年である。



脚本・監督:藤原智子
ナレーター:武藤礼子
撮影:宮内一徳
音楽:宮崎尚志


製作:「学童疎開」記録映画製作女性の会
助成:財団法人 東京女性財団
協力:全国疎開学童連絡協議会


1995/100分/日本