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20190823日(金)、24日(土)、25日(日)に開催された第57回の東田シネマ上映会にお集まりいただいた皆様、ありがとうございました。また、運営や情報拡散にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。ここにアンケートに記載された皆様の声を掲載いたします。


18歳~39歳


貴重な映画をありがとうございました。様々な想いが伝わってくる映画でした。

最近の日本と韓国の関係を見ていると、非常に心配になります。このように関係の深い隣国にも関わらず、あっと言う間に関係がおかしくなっていっている事、政府の考えだけで事が動いていっていること。一方ではオリンピックと騒ぎながら。このままでは韓国はオリンピックにも参加できないのでは?太平洋戦争の時も、いつの間にか戦争やむなしという空気になっていったとのこと戦後のつもりだったのが、気が付いていたら、またということにならないようにと思うばかりです。

疎開中にも様々な悲劇が、そこでおきていたということを初めて知りました。対馬丸の話は、小学校で習ったことは覚えていますが、その当時は戦争がだめなことをしっかり理解できていなかったと思います。他人の気持ちを共感したり、年齢が上り経験により理解力が増したこの歳で、もう一度勉強したり考えてみる事に意味があるように思います。

40歳~59歳


戦争について、また考えました。この映画からさらに24年たちました。風化させたくない事実、伝えていきたいです。

学童疎開の真実が分かり、本当に良かったと思います。戦争の爪あとはいろいろなところにあり、二度とあってはならないと思いました。

小学2年生の息子がどう感じたか、むずかしいと思いますが、あとからゆっくり話を
てみたいです。

全く戦争のない世の中になるようにしていきたいです。

学童疎開をかつてしていた母と観に来ました。静かに深い訴えが伝わってくるようでした。

学童疎開のエピソードや回想を通して、つらい思い出や記憶も、語りついていかなくてはならないという思いで、知らせて下さっているのだと実感しました。

学童疎開の事を今まで聞くだけで実感がなかった。

戦争の語り部が少なくなりつつある昨今、子どもの視点で遺されるこの作品。深い深い想いが遺されつつある事を、又、本作品を今の子ども達が観てくれた事がうれしく思いました。しかし、現世は又、あの時代へ向かいつつある気がしてならない。

戦争の大変さを感じた。食べ物を大事にしようと思った。

ドキュメントが多く、子どもには難しかったです。ただ、当時の写真が少し見れて良かったです。

貴重な映像資料です。上映を続けて頂きたい、全国で。母が学童疎開世代なので、元気なうちに当時のことを聞いてみようと思います。

体験していないことは、学ばなければ常識にならない、とおっしゃった言葉が残りました。子ども時代を、本当に子どもらしく生きることのできなかった方々の体験を聞かせていただき、もっともっと学ぶことが必要だと思いました。語ることはとてもつらいことだと思いますが、このように貴重なお話をしていただけたことを、きちんと学ぶ義務が受け取った私たちにはあると思います。

今から25年前に製作された記録映画で、戦争体験者も60代~70代の方が多くて、戦争の記憶が生々しいことを感じる。だからこそ、戦争をしては絶対にいけないという切実な思いがあふれ出て、観る側に伝わって来る。今現在、戦争の本当の悲惨さを自分ごととして考えられる人が本当に少なくなったから、「戦争で解決しろ」などということを簡単に言う人間が増えているのだろう。貴重な証言集だ。

つらい戦争体験を語り継いで、伝え聞いた者たちが一つ一つをつないで、点を線に線を面にしていくことで、新たに判明していくこともあると思う。そしてそれが、今後人類の財産になっていくといいなと思う。

学童疎開をテーマにしつつ、やや拡散した印象。ドキュメンタリー映画というジャンル自体が難しい。声を残す作業は必要であり、映画の方がテレビより残しやすい面、再上映の機会を設けやすい面はある。若い人たちに見てほしいという意図はあろうが、そのためには工夫が必要。

60歳以上


戦争はイケません。しっかり生きて行こう。

「先生、みんな揃ったら、会いに来るね」と対馬丸で亡くなった方が、引率した先生のところに最近出てくる様になったそうです。二度とこんな思いをする社会にならないよう我々高齢者が声を出さねば。まずはできることから。

まだまだ明らかになっていない、重要な歴史があることを感じた。

戦争がなければ、それぞれが心豊かに生きていたと思います。「あやまち」を二度とくり返さないで欲しいと思います。

今回も知らないことをたくさん学ばせてもらいました。学んだことで、まだ自分がやらなければならないことを考えさせられます。元気にもなります。ありがとうございました。

初めてここで映画を見て、私なりに感じる事ができました。

戦争は駄目ですよね。語り継いで行ってるんですね。

戦争によって大変な目にあわされた子どもたちとその家族の状況に、胸が苦しくなりました。客観的にとらえた映像が反戦と叫んでいるわけではないのに、戦争前夜のような現在の日本で、もっと多くの人に見てもらって反戦の思いを共有してもらいたいです。

とても感動しました。見過ごしがちな視点からの映像がとても印象的でした。

一人ひとりのインタビューの内容から、学童疎開のことが分かりました。女の人がお兄さんから月謝を出してもらっていたが、やがてしっかり大学卒業まで自力でなさった(途中夜間高校在学中の偽証明書発行:面白かった)話に、女性の力を感じました。対馬丸のことは少し内容が分かりました(言葉でしか知らなかった)。体験者が集まって報告集を出していらっしゃることに応援の気持ちがいっぱいになりました。

遠い日の想い出を風化させることなく、もう一度意識の底辺に刻みつけなければならない最後のお山の杉の子のメロディを、歌詞を想い出しながら、幼児の体験を鮮明に想い出した。危ない今の時代こそこの映画を多くの人に見せたい。

沖縄の対馬丸といい、日本の忘れてはいけないものがぎっしりつまっていました。

この映画を藤原監督を軸とした女性達が作った事がすごい。戦争の記憶を伝え続けなくてはという事はわかっているが、リアルタイムでなかった戦後に生まれた私は、戦争の体験がある祖母や父母の断片的な記憶しかない。このような映画が残され上映されていかなくてはいけないと思います。

通り一遍の記録でなく、一人一人の経験者の話は、それぞれ身に迫るものを感じました。今の自分を見つめる上で大変有意義で色々と考えさせられました。次回も参加したいと思います。

いいドキュメンタリーを観させて頂きました。ありがとうございました。

つらい映画でした。子どもの立場、親の立場、両方の思いがわかりしんどかったです。

私が5歳のときが終戦でした。北支に出征していた父が復員し、兵隊カバンで小学校入学のカバンを母が縫ってくれました。両親と兄弟妹5人でした。ひもじい思いをして育ちました。物が捨てられません。

/2寝ていたが、戦争知らない子供達へ伝えたい。

グラマンの機銃掃射の跡が家屋に残っている時代と、今との間の20余年の長さを感じました。継承することの難しさを思います。

戦中のことは思い出したくない思いでした。事実を表現いろいろ考えさせられ上手く出来ています。帰ってみんなでよく話し合って伝えていきたいと思います。

開戦の時に生まれて、時々父から話はきいていましたが、父といっしょに観賞して、いろいろの話をしたいなーと感じました。まだまだ知らない、解らない事だらけですが、今日はとても良い時間をもらいました。

学童疎開を経験された方々は、80代でしょうね。再疎開、地震、はじめて知りました。忘れてはいけませんね。

感動的な映画をありがとうございました。何度も何度もこういう映画は見ていかなくてはならないと思います。対馬丸のことにも8月になると心動かされます。

戦争がいけないという事が分かったが、生き残った人の人間としての成長をどうとらえていいのか迷います。私自身は核兵器廃絶や戦争反対の運動をやっていますが、それを広げる困難さを感じ、悩んでいます。この映画の上映会を独自にやってもいいなと思っています。

学童疎開 具体的な内容を初めて知ったような気がしました。1995年の映画であること。今このような話ができる方々がどれだけおられるでしょうか?貴重な映像を多くの方に見ていただきたいと思います。忘れてはいけない!!

戦争反対 今日の映画より一寸年下1945.8.8日、八幡市有明町3丁目で、小2の姉と3歳の弟、6歳の私は戦火の中を逃げました。多大な軍事費より子供達へ、安倍首相、子供や孫達を平和な世界が続きます様トランプさんの言いなりにならないで下さい。

これは25年前のドキュメントでその頃と今とくらべて、時代はどうなのだろうと考えながらみました。少しは良い方向にむかっているのでしょうか語ってくれる方がいてくれる間に、と思うけれど、ぎりぎりのところにきていると感じる。これをみて知ったこと考えたことを少しでもつなげていけると良いなと思った。ここで語られていたことが、今の子どもたちに理解してもらえるかどうかと不安はありますが。今回も良い映画をありがとうございました。

戦後の5年後に生まれた私です。戦争の悲劇を改めて知ることができました。学童疎開での悲しい出来事があったこと、中身の濃い内容で非常に良かったと考えます。ありがとうございました。

平和な時代に生まれ育ったことを、改めて感謝しなければと強く思いました。

自分の思った映画と違います。

今年の北九州の戦争展で私も語り部の一人としてしゃべったが、関東や沖縄の人たちのように家族を失ったという経験はない。日本は、朝鮮や中国で無差別爆撃をし、米は日本で無差別爆撃をした。どちらも責任をあいまいにされたままになっている。どうしたら戦争をなくせるかは、そのような点をあいまいにしない事ではないだろうか。

戦後生まれの首相とか言われて鼻高々としてるアベに見てほしい、と思った。ま、仮に観てもふう~んで終わるかもしれないけど。25年前の映画だが、ますます戦争体験者が少なくなっていると、つくづく思う。

多くの子供達が疎開していたことは聞いていたが、20年前にこんな作品があったことを始めて知りました。多くの方が、特に若い人たちに観て頂きたいと思います。

歴史を後の時代に伝える大切さ、学童疎開を通じて当時の時代背景を振り返り感無量。ありがとう。

涙ながらに見た

学童疎開のことは少ししか知らなくて、日本全国でそういう辛い体験をした人たちがいたのですね。私自身、満洲からひきあげて死にかけていたと、母から聞かされ、戦後私と姉を育てる母の苦労を知って生まれなければよかったねと姉と話したことを思い出しました。74年経って、戦争のことを知らない人たちが増えています。語り継ぐ人が少なくなっています。だからこそこういうドキュメンタリーを上映して下さったことに感謝します。今日もシンギングボールを聞くことができました。ありがとうございます。

感無量です。子どもたちに語り続けて行かなければ、と。アジアの国々の人々も同じでしょう。軍隊の起こした戦争が600万人の血と涙を忘れるな!と。

戦争というものが、どんなに人間のいのちと幸せを奪ったのかをまた改めて  深々と知らされた思い。対馬丸事件については沖縄の記念館も行って詳しいことを知っていたが、今回の映画で遺族の話を聞き、あらためて悲しみ深い事を知る。

今回の作品はドキュメンタリー映画としては古いタイプの感じがしたが、製作年からみると、すでに四半世紀が経っているのが分かった。ということは、この作品に出られていた方々も、かなりの方が亡くなっているのではと思う。だからこそ、このような作品は上映され、少しでも多くの人たちに観ていただけないと、「戦争」という悲惨な事実がどんどん風化していくのではないかと思えてならない。「戦争は悪である」ということは誰でも知っている。にも拘らず、現代になっても武力による人殺しである戦争はなくならない。そして、「戦争」の一番の被害者は弱者である。一般の人々である。そのなかには「子ども」もいる。本作品とは主旨は違うが、ドイツが敗北した時、少年兵<ヒトラー・ユーゲント>であった子どもたちが戦後いかに悲惨な運命を辿ったかという映画『ヒトラーの忘れもの』という作品を観たことがある。そしてそのなかにあるのは「戦争には、本当の勝者も敗者もいない」という事実である。洋の東西、過去・現代・未来も関係ない。「戦争」は悪である。それを全ての人々が心に刻み、反対し、起こさせないように小さな動きで良いからやっていかなければと強く思って、自分にできることをやっている。
今回も良い作品をありがとうございました。

学童疎開の実態を実際の声と映像で体験できて良かった。外国との比較というのも興味深かった。

立ち食い市場の羊のような学童疎開。引率教員も大変でしたね。上級生からのいじめ。50年たってもいじめた上級生には会いたくない。S19.12.17東南海地震で、一緒に歩いていた友人が亡くなる。この地震での後遺症で今も薬を手放せない人がいる。この地震、関東大震災に匹敵するのに、戦時中の報道管制の為に、ベタ記事などの小さなものとしてしか報道されていない。三河大地震も同様に、報道されない。3/10の東京大空襲。両親、兄弟を亡くし、孤児となった学童疎開児たち。戦災孤児たちのきびしい生活が始まる。戦後74年ですが、何年たっても学童疎開での生活は、心と体に傷を残しています。戦争は始めてはならないものだと思いました。

戦後70年も経っているのに、初めてきくことがある。戦争の実像を次の世代
伝えていくことは容易ではないと思います。私たち自身が戦後世代で体験のない中で、でも戦争してはいけないという思いを、伝える術をもたなくてはいけないのだと思いました。

私は、この映画の人たちより少し後に生まれました。戦後の小学校入学です。学童疎開は話を聞いたり、本を読んだりしていますが、あの戦争中に親と離れ互いにきびしい状況でのくらしは想像に余りあります。戦争にほんろうされた人々の尊厳をとりもどす、戦争を許さない社会を創り続けることでしょうか。

自分は社会福祉活動のボランティアをしております。今回の映像を観て、公民館活動で、市民センター行事として多くの人に観てもらえたらと思います。以前は個人の好意で、自主上映会をやっていたのですが、市民センター等での映写は駄目だとの当局の指摘もあり、現在はやっていません。この映像だけでも、多くの地域の皆さんに観ていただく方針が見つけだせないものでしょうか。

学童疎開についての本やまとまった映像を、今回初めて見ました。現在の平和な時代の中で生きている人々が、過去の時代の人々の困難を極めた情況を知ることが大切。現代政治の中でまちがった方向に進んでいる危険を感じています。このフィルムを多くの方々に見てほしい。

以下のご感想は、後日郵送で届きました。
戦前、私の母親一家は、東京目黒区に住んでおり、昭和9年生まれの叔父は、疎開先の福島県で盲腸炎の手遅れにより、10才で亡くなっております。そのことにより、学童疎開のことは少し知っておりました。子どもたちだけで疎開するので、東京大空襲で親兄弟が亡くなり、戦災孤児となった子どもたちが、大勢いるわけですね。
母たちは、5月の空襲で焼け出されましたが、幸いに家族で生き残り、広島県に帰郷することが出来ました。叔父が亡くなったのは、東京の空襲が激しくなる前だったので、葬式は、学校葬で盛大にしてくださり、「君への思い出」という同級生の文集が実家に残っています。私もその文集に寄り、当時の小学生の想いを、少し知ることができました。母は、一緒に疎開した子どもたちの中には、戦災孤児になって苦労された子もいるだろうから、ありがたいことと言っておりました。
個人的な前置きが長くなりましたが、そういうことで、学童疎開について知りたくて、今回のドキュメンタリー映画を見にきました。8月になると、広島・長崎の原爆や、戦争体験者の話は報道されますが、学童疎開について詳しく報道されることは、ないように思います。東京大空襲で孤児になった子どもたちの映像は映し出されることはありますが。私も、叔父が健在であれば、直接体験を聴くことが出来たでしょうが。
映画の中で驚いたことは、疎開先の大地震で亡くなった子どもたちが大勢いることや、「対馬丸」の遭難により沖縄の子どもたちが770余名犠牲になっていること。「対馬丸」については、新聞で報道されるようになってきましたが。
私が、いちばん印象に残ったことは、疎開先での子どもたちの「いじめ」のこと。胸が痛みましたが、現在も「いじめ自殺」が後を絶ちません。証言された方が、現在の偏差値による振り分ける教育のことなど、いじめの起因する構造を的確にとらえ、25年前に話されていることに感動しました。私もまったく同意見です。孤児になられ、さまざまな苦労を重ねて生き抜いてこられた姿は、ご立派だと思います。切り絵に思いを残され、生きてこられた方の姿は、感動的です。戦後50年、1995年に記録されたこの映画は、大変貴重だと思います。
私は、67歳ですが、私の世代は、戦争体験を直接聞いてきた世代です。しかし、日本は、日本の加害責任と共に戦争を客観的にとらえ、見つめ直して、反省していく姿勢が希薄だと思います。私たちもそういう教育をきちんと受けて来ませんでした。そのことが、今日の日韓問題に代表されるように、火がくすぶり続け、時に爆発するのだと思います。今の大人の責任は重大だと思います。原発のことや、様々なところで、日本の悪い面が表出しているように思います。将来世代への責任を思う日々です。
以上、長くなりましたが、映画の上映、本当にありがとうございました。

年齢未記入


風化させない取組みは大事。

学童疎開をよく知らなかったので、戦争の側面としていかに子ども時代が、うばわれ死に直面しながら生きていくしかなかったのか、戦争の恐さがひしひしと伝わりました。

戦争で大変な思いをされた人が多くあったのだという事を、改めて思い出した。この様な事がまた起こらない様、若い人に知らさなくてはいけません。若い人にうったえる方法も考える事も必要かもしれません。まず、自分の子供や孫達にも教える事から始めなくては

過去の歴史を知らない事は犯罪(あやまち)につながる。

憲法のことも少しですが出てました。出演者の方々のような子どもが出ないためにも、戦争をしないためにも、国民投票はしないようにしたいです。

学童疎開のことは少しは知っているつもりですが、戦後どう生きていたがなどは、全く知りませんでした。今と25年前の世相の違いも感じました。

大地震の話は知らなかった。戦争はしてはいけないと思いながらも、戦争をあおるような雰囲気に満ちてる現在との矛盾を感じます。

戦争を知らない世代です。戦争を体験したであろう家族からも戦争体験を聞いた事がありません。体験された方々の複雑な思い、それでも伝えなければいけないという思い、たくさん感じました。貴重なドキュメンタリーだと思います。次回の作品も楽しみにしています。

子どもにはまだ退屈だったのかなと思いますが、戦争のむごさををあらためて感じました。

終戦とともに始まった「ノミの数」大会。子供たちも戦争のヨクアツを感じていたんだ。引率された教師への批評ももう少し多く組み入れてほしいかな(3時間超える?)

天皇の言葉の後ののみの匹数の記録がおもしろかった。今この時、あの子どもと、それ以上の悲しみを生きていることを考えながら、又大変大切なフィルムだと思います。

疎開の学童たちの、戦時下の生活、その後の人生を知ることができて良かった。それぞれの方の話は、苦しい経験をされて来たからこその言葉で語られ、心を打たれます。

戦争の記録は、本人にはつらい経験ですが、残っていかなければいけないと思いました。

戦時中の国家の隠蔽に腹がたちました。

平和であることの大切さ、あらゆる環境を守り育成することの大切さを感じる。自然環境はもとよりその環境を育てる教育の大切さを思う。学校であり企業であり社会としての環境を育てるには、この様な記憶、記録をつなぐ人材づくり、学校企業教育を考える多くのリーダーをつくりだす必要がある。この東田シネマもその一貫として活かして欲しい。多くの出会いの感じられる場所である。

学童疎開の子どもたちと同じ世代として、疎開中の大変さ、戦後の暮らしの大変さ、戦争による命を亡くすこと。戦争は、国が始めるが、犠牲は庶民一人一人が何万も何千万もこうむる。理不尽。決して戦争をしてはダメと。よい映画でした。




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