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それを聴けば津軽の匂い(カマリ)が湧き出るような
そんな音を出したいものだ


東田シネマvol.58は、映画 『 津軽のカマリ 』を上映します。

09/27(金)10:30/13:00/15:30/18:00
09/28(土)10:30/13:00/15:30/18:00
09/29(日)10:30/13:00/15:30/18:00

10/04(金)18:30  北方シネマ上映会へ!
北方シネマの会場は、小倉北区の北九州市立大学北方キャンパス本館A-101です。

料金:
1000円/予約一般
1200円/当日一般
0500円/大学・高校生
1000円/シニア(60歳以上)
1000円/障害者手帳をお持ちの方

会場:北九州市環境ミュージアム/北九州市八幡東区東田2-2-6
JR九州 スペースワールド駅徒歩10分
西鉄バス イオンモール八幡東バス停徒歩5分
西鉄バス 東田大通入口徒歩5分

視力を失い、唯生きる為に三味線と共に彷徨った高橋竹山と苦難の世を渡った名もなき北東北の人々の魂が三弦の音色とともに蘇る・・・風土、風習、文化、記憶、かつてどこにでもあったものがここにはある。


 津軽三味線の巨星、故初代 高橋竹山。明治に生まれ、幼少期に煩った麻疹が元でおおよその視力を失う。北東北の過酷な環境の中、庶民の暮らしは貧しく、福祉もまだ整わない時代、唯生きていく為に三味線を習い、門付けをしながら乞食同然に彷徨った。生前、竹山は「津軽の匂いがわきでるような音をだしたい」と語っている。彼を産み、視力を奪い、蔑み、また命の綱となった三味線を授けた恨めしくも愛おしいこの土地に初代竹山は終生拠点を置き、津軽の音を探し続けた。映画は、残された映像や音声、生身の竹山を知る人々の言葉を拾いながら、彼の人生や心模様を呼び覚ましていく。そして、この地に今も残る風習や文化、人々の暮らしにレンズを向け、竹山の音に潜むであろう津軽の原風景を浮き彫りにしていく。

そして、もう一人・・・


 この映画のもう一人の主要人物、二代目 高橋竹山。師、初代竹山に見込まれ、長く付従い、1997年に襲名をした女性三味線演奏家である。しかし、津軽では彼女を認め、竹山と呼ぶ人は少ない。襲名以来、青森市での単独コンサートは一度も開かれてこなかった。映画の中で、二代目はかつて師とともに訪れ、戦争に命を奪われた多くの人々のことを知るに至った沖縄や、師が旅芸人時代に大津波にあい、命の危険にさらされた三陸野田村などを巡り、初代竹山を再確認していく。そして、かつて内弟子時代を過ごした津軽に久しぶりに帰り、師の墓前に花を手向ける。再び師と向き合った二代目は、襲名後、初となる青森市内での単独コンサートに臨み、目の覚めるような素晴らしい三味線の音を響かせるのだ。

 監督は『スケッチ・オブ・ミャーク』の大西功一。沖縄宮古諸島の老人達が記憶する古代の唄とかつての島の暮らしに焦点を当てたその前作は、2012年に公開され、3万人もの観客を動員した。人々の暮らしと音楽を辿る旅は今作、北国に向かって大きく舵を切る。そのきっかけは19年前、鈍行列車に揺られ東北各地を巡る中、北上し行き着いた津軽半島北西部の日本海岸にある十三湖。その強い悲しみを湛えた情景が忘れられずにいた。その後に出会う竹山の子孫や弟子達との縁から、本映画の構想を得る。そして、2015年の春より約2年の撮影期間と約一年の編集期間を経て、前作を凌ぐ新たな作品を紡ぎあげた。
 津軽三味線奏者 初代 高橋竹山の生涯、彼の記憶は音色として、そして津軽三味線という北東北の生業としていまも息づいている。

公式サイトより抜粋

スタッフ

企画・製作|大西功一映像事務所
製作・プロデューサー|大西功一
共同プロデューサー|明山遼
音楽|パスカル・プランティンガ 
題字|間山陵行
タイトルCG|嶋津穂高
出演|初代 高橋竹山
二代目 高橋竹山、高橋哲子、西川洋子、八戸竹清、高橋栄山、須藤雲栄、高橋竹童 他

特別協賛|青森放送株式会社、宗教法人松緑神道大和山、タクミホーム株式会社、田澤昭吾、竹勇会、藤田葉子、謡樂堂
デザイン|なりたいつか
配給|太秦

© 2018 Koichi Onishi
2018|日本|104分|DCP|モノクロ・カラー|ドキュメンタリー


「お山の杉の子」は疎開学童の愛唱歌だった・・・



東田シネマvol.57は、映画 『 杉の子たちの50年 学童疎開から明日へのメッセージ 』を上映します。

08/23(金)10:30/13:00/15:30/18:00
08/24(土)10:30/13:00/15:30/18:00
08/25(日)10:30/13:00/15:30/18:00

09/06(金)18:30  北方シネマ上映会へ!
北方シネマの会場は、小倉北区の北九州市立大学北方キャンパス本館A-101です。

料金:
1000円/予約一般
1200円/当日一般
0500円/大学・高校生
1000円/シニア(60歳以上)
1000円/障害者手帳をお持ちの方

会場:北九州市環境ミュージアム


学童疎開という切り口でとらえた昭和史の断面


 昭和19年8月4日、第一陣が出発した学童集団疎開は、全国で40万人を上回る規模になった。引率教員の一人は、子供の生命を預かる責任が第一、食べさせることが第二、教育は三番目だったかな、と笑う。遠足気分で出掛けた子供たちにも厳しい日々が始まった。到着の日から帰京するまでの6ヵ月間一日も欠かさず、朝、昼、晩の献立を書き込んだ男の子の日記。上級生から徹底的にいじめられた三年生の、当時と現在のいじめに対する告発。その中で、疎開先の娘にあてた戦地の父からの細やかな愛情に満ちた手紙が、疎開地の美しい風景とあいまって心を打つ。


 一方、安全なはずだった疎開だが、東南海地震、三河地震と相次いだ大地震が多くの子供の生命を奪った。或いは、機銃掃射で地元の少女の即死に直面し、自分達も宿舎のお寺から焼け出され、そのショックから立ち直る間もないまま、3月10日の東京大空襲で孤児となった東京・本所からの疎開児たち。その中での最大の悲劇的事件は、敵の魚雷攻撃を受けて沈没し、770名余りの学童が犠牲となった疎開船「対馬丸」の遭難であろう。高齢化した遺族たちの心に未だ生々しく残る深い傷痕、亡くなった人たちに申し訳ないという思いを抱き続けてきた生存者たち。


 終戦。皆が解放感に浸るとき、疎開先で孤児になった子供たちには厳しい戦後の日々がやってきた。その中を、精一杯生きて来た、この50年の彼らの姿が涙を誘う。


明日に何を残し、伝えるかを考えるドキュメンタリー映画


 第2次世界大戦中、イギリやドイツにも組織的な学童疎開があり、イギリスでは、それが戦後の児童福祉政策に影響を与えたといわれている。学童疎開は、一見限られた地域や世代の特殊な体験のようにみえるが、どの国の子供たちにも心の底に何かを残し、考え合わねばならない問題があった事に気付く。日本でもこの世代には、学校や疎開先や学年を超えた不思議な連帯感がある。戦後、文学や劇映画でもしばしば取り上げられてきたテーマであるが、歴史の証言者としての存在をより明確にする本格的な記録映画はなかった。この映画は、その世代がまるごと生きた「昭和」を問うとともに、自分たちの体験から、明日に何を残し、伝えるかを考えるドキュメンタリー映画である。


 製作母体は、疎開世代の女性たち。


 映画は、疎開地訪問から始まり、外国を含めた疎開の政策と経緯、疎開生活、そこでの悲劇的事件、孤児たちの戦後、そして疎開が残したもの、伝えるものは何か、と展開。疎開学童、引率教員、寮母、受入れ側など30数人に及ぶ証言を、現地ロケを交えながら綴っていく。単なる疎開物語ではなく、学童疎開という切り口でとらえた昭和史の断面であり、戦後50年である。



脚本・監督:藤原智子
ナレーター:武藤礼子
撮影:宮内一徳
音楽:宮崎尚志


製作:「学童疎開」記録映画製作女性の会
助成:財団法人 東京女性財団
協力:全国疎開学童連絡協議会


1995/100分/日本



公式サイト

それでも、復興へむけ村をあげて狼煙をあげる―


東田シネマvol.56は、映画 『 西原村 』を上映します。

07/26(金)10:30/13:00/15:30/18:00
07/27(土)10:30/13:00/15:30/18:00
07/28(日)10:30/13:00/15:30/18:00

08/09(金)18:30 北方シネマ上映会へ!
北方シネマの会場は、小倉北区の北九州市立大学北方キャンパス本館A-101です。アフタートークには、久保理茎監督と農村社会学者の徳野貞雄さんが来場します!

料金:
1000円/予約一般
1200円/当日一般
0500円/大学・高校生
1000円/シニア(60歳以上)
1000円/障害者手帳をお持ちの方

会場:北九州市環境ミュージアム


人生が一変した村人たち 2年の記録。

千年に一度といわれる活断層型地震が2016年4月、村を襲った。

一夜にして1200人が家を失った。

恐怖をのりこえ地元で再建するか、断層から離れた場所へ移り住むか、悩み続けた。地域や家族の中でも、意見は割れた・・・



ディレクターからのメッセージ

映像ディレクターの久保理茎(くぼ りけい)ともうします。熊本の被災地・西原村へ、宮崎市から妻の実家の軽トラを借りてトコトコ通い撮影をつづけてきました。

あの日、突然住む家を失い、大切な家族を奪われた方々がいます。

住みなれた土地への愛着と、活断層への恐怖とのはざまで、どうやって地域再生へむかっていくのか、苦悩するみなさんの姿から、多くを学んでおります。巨大地震がいつどこで起きてもおかしくない、この国。「わがこと」として胸に刻みながら取材を重ねてきました。


百年後に語り継ぐために、震災の記録映画を作り、被災地「西原村」に譲渡する


震災直後「ドローン撮影」をされた広島大学 貞森拓磨氏(救急医療の専門家)は、当時、村に着くやいなや副村長から熱く熱く「百年後に語り継ぐために 撮ってください!」と要望され、エアショットを2週間撮り続けました。その貴重な記録映像も映画で使わせて頂きました。

再び立ち上がろうとする村のことを、広く知ってもらうために、これから村に生まれてくる子どもたちのために、将来にわたり「自由に」上映会やDVD配布などを行ってもらうことを目的としています。


西原村ってどんなところ?


人口およそ7000人。熊本県西原村(にしはらむら)は、熊本空港のすぐ近くにあり、世界的な観光地・阿蘇の入口に位置し、2015年には「日本一競争力のあるまち(市町村)」として日経新聞で紹介されるなど、日本有数の「元気な村」として知られつつありました。

ところが、2016年4月の激震におそわれ、村の建物の6割近くが「全半壊」。7000人の村民のうち4000人が避難。5人が直接の被害者となり、1200人を超える方々が住む家を失いました(村民の6人にひとり)。2018年初春の時点でも、1100人を超える村人が仮住まいを余儀なくされています。

熊本の小さな村「西原村」で起きたこと、そして今も日々起きている困難は、決してひとごとではありません。千年に一度といわれる大災害でした。通常経験しようがない重い課題に直面し、もがきながら乗り越えようとする村人の姿を見つめること。きっとそれは、観る人を変える力をもつ!と信じます。


「鎖のひとつ」に


そもそも、西原村でカメラを回し始めたのは、2016年の暮れでした。はじめは役場の震災復興推進室(その後「課」に昇格)の職員の方々の協力を得て、撮影を開始しました。そして、布田(ふた)や大切畑(おおおぎりはた)といった、壊滅的被害をうけた地区のみなさんも撮影に協力していただけるようになりました。

みなさんの、ポツリポツリ語ってくださる言葉や、逆に言葉にできない時のシジマには、とにかく何かを伝えたい、知ってもらいたい、という熱い思いがあふれていました。

私が映像の仕事を始めた1991年の雲仙普賢岳の噴火以来、1995年の阪神・淡路大震災、2004年中越など、各地で長年経験したことのなかった異変が起き、2011年の東北、そして2016年熊本とつづいています。列島にすむ、すべての人が当事者となる可能性があるということを、つくづくおもっております。彼我の差をこえて、各被災地への支援の輪をつなげていくための、「鎖のひとつ」に、この作品がなればと願っています。


公式サイトより抜粋


スタッフ

ディレクター:久保理茎
音楽/MA:種子田博邦
ナレーション:菅剛史
題字:松永壮
製作:映画『西原村』プロジェクト/代表 久保理茎

2018/85分/日本/ドキュメンタリー

***

映画の内容に関する記述があります!まだ映画をご覧になっていない方はご注意を。

***





映画の感想! vol.55 『 旅するパオジャンフー 』



2019年06月28日(金)、29日(土)、30日(日)に開催された第55回の東田シネマ上映会にお集まりいただいた皆様、ありがとうございました。また、運営や情報拡散にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。ここにアンケートに記載された皆様の声を掲載いたします。


18歳以下  



18歳~39歳




将来の事を考えている様で、刹那的に生きている彼らを不思議に思いました。葉さん一家のアホンと妹、母親(義母?)と父との関係性(あと弟も)がわからなかったのですが、もしかしたらインタビュアーもわかっていないのかもしれないと考えました。



心に染み入るような作品でした。登場人物たちが今、どうなっているのか気になります。



一週間は悪夢にうなされそうです。とっても気味の悪い映画でした。



40歳~59歳




先日、新聞で東田シネマ、北方シネマ、初めて知りました。これからも時々チェックして、ドキュメンタリー、見にこようかと思います。



台湾の「パオジャンフー」として生きる人々の苦楽を追ったドキュメンタリー、興味深く拝見しました。



ありがとうございました。薬売りの歴史として薬剤師としても、とても興味がありました。時代の変化の中でも、自分たちの伝統を守り続けてほしいです。



1995年の作品とのことで、あれから現在はどのようになっているのかと思いました。パオジャンフーのことを知らなかったので、知れてよかった。日本でも口上で物を売られる人が(バナナの叩き売りとか、とらさんとか)いましたが、ショーをしてはなかったので、興味深いです。人生がせつない、でも強い…、色々考えます。



みんな生きることに精一杯なんだなと思いました。何かを続けるには「不易」と「流行」を取り入れることが必要だと感じました。本日はありがとうございました。



パオジャンフーが地域に役立ってるところは良いと思いました。



台湾のむあっとした熱気のようなものが、伝わってきた。彼らの人生観がシンプルで良かった。



台湾の人の生命力あふれる魅力の一端を見ることが出来た。旅行で見るきれいな台湾ではない人間くさい部分にスポットをあてていて、次回台湾に行くときはまた違った感覚で楽しめると思います。劇中の方々のその後が気になります。



文化ではあるけれども貧困と結びついているように感じました。薬の効果や役割が時代と共に変わり、さびしく感じます。



ありがとうございました。貴重な作品を拝見できました。また楽しみにしています。



なんともなつかしい不思議な世界でした。何がなつかしいのだろうか?でも、なぜか知っていると思うのは同じアジアという人種のためか。彼らの自由で、しかし体を張った自由奔放さに憧れますね。



珈琲を楽しみにしておりましたのに、残念無念。今回のは……。珈琲好きの知人を喜ばせてと思っておりましたのに本当に残念なり。



興味深いお話でした。おもわずひきこまれて見入ってしまいました。台湾の暑い蒸すような中、熱気をあびて自分も見物しているような気持ちになりました。生活臭がいっぱいで、キレイな映像とはいえませんが、熱くぐっとくるものがありました。ありがとうございました。



こんな台湾もあるんだなあと感じました。25年近く前の作品のようですが、今もパオジャンフーの方たちはいるんだろうか、どうくらしているのか、と思いました。



おもしろかった。



このような旅芸人の文化があるとは知りませんでした。おもしろかったです。



60歳以上




おもしろかった。



蛇の動きが面白かった。昔の台湾なのだろうけど、猥雑さが興味深かった。



この作品の「DVD」を持っているはずが大画面で観るのも違って面白い。



全く知らない世界をありがとうございました。



力強く生きる人生に感動しました。



蛇使いに驚きました。あれだけかみつかれながら、毒が回りながら訓練をしていました。



1995年とは24年前!!彼らは今どうしているだろう…、同じ仕事を続けることができているならすごいことだと思うけれど、四半世紀前は日本にも台湾にも「昔ながらのなつかしい風景が残っていたな、と、(台湾へは行ったことがないけれど)この四半世紀で世界は確実に劇的に変わったことを再認識しました。



今回も途中ちょっと眠くなった。



これがドキュメンタリー?すごい青春映画のような印象です。(女の子の表情、仕草がすごく良い)期待通りでした。



20年以上前の作品なんですね。いずれにしても、なじみのない世界が見れて楽しい映画でした。



面白かったが制作が1995年ということで、古くて異世界を見るかんじ。



自分の過去を観ている様で大変に面白かった。次回に期待している。私は当館には毎月のように来ているので、次回はこちらにも寄ってみたい。



久しぶりの東田シネマでした。パオジャンフーの予備知識がなかったので少し予習をして来て見れば良かったと思いました。また来させて頂きます。ありがとうございました。



2回目ですが、予告を見て又来たいと思います。



面白かったです。



歌と踊りも面白かったが、全体はよくわからなかった。



参加者が少ないのにびっくりしました。予告編は余り興味が湧きませんでした。

台南のいつ頃の物●かな?台北台中には昨年5度目の個人旅行で行ったが、台南は30年前に行った。今年は台南と思っていたが、楽しみだ。



小さい時、日本でも芝居小屋で生活している人々の事を思い出しました。蛇使いには驚きました。



「上映会」長く続けて下さい。



初めて知る台湾のパオジャンフーのことを知って興味深い映画だった。恋人とよくケンカしながらも一緒に働き、パオジャンフーの仕事を受け継いでいこうとする若者の変化が見ものだった。口上もなかなか良かった。キングコブラのヘビ使いはすごかった。



(1)新威殿はバンで移動。お父さんの火吹きのショーはスゴイ!!薬を売るのですね。アホン、アレン、亡くなった娘さんの話。幾重にもいろんな人生が交錯しています。(2)呉さんはお一人で月琴を弾きながら歌い、薬を売る”原爆は真珠湾のお返しだ、日本は2つもスゴイものをもらった”。(3)黄さんは口上師。(4)蛇使いのアミン・・・、蛇が恋人。蛇がいなければ変になっていた。一日一日を生きていくのみ。生きる出家僧。不思議な世界です。ドキュメンタリーなのに、フィクションのようにいろんな奥行きがある。また、音楽と風景がとても懐かしい感じがしました。



20数年前の記録映画、その時代もずいぶん難しい生き方をあえてしなければならない人たち。その頃の日本はどうだったんだろう。思い出せないが、この頃でも日本はまだ恵まれていたんだろうと思うと、今でもたくましく生きる外国の人たちはすばらしいと思います。



台湾はあまり興味がなく、何も知りませんでした。日本の富山の薬売りのようなものでしょうか。この映画の意図がよくわかりませんでした。ドキュメンタリーとして、どう受け取っていいのか、ずっとあとで、ああそうだったのかとわかるのかもしれません。今見えているもの、これから見えてくるもの、見えないもの、それがドキュメンタリーなのでしょうか。



25年近く前だから、今はどんなでしょうか。うまく言えませんが、悲しい気持ちもわいて来ますが、何か強さも感じられて、おもしろかった。あの生活のなかで10人の子どもがほしいと言える姿がすてきでした。



今回も途中ちょっと眠くなった。やはり映画館で見る映画の方が面白いしためになる。



パオジャンフーというものを初めて知りました。商品を売りながら生活する旅芸人!生きていくのは大変だなと思いました。年老いたらどうするのか?



浪花節だよ人生は、のカラオケがおもしろい。日本文化が浸透しているところ、よくこんな人生があるものだと感心させられた。



何ともわい雑で少しなつかしい記録。でも今の私たちの生活感覚とはかなり違っていて、でも、生活のたくましさには恐れ入りますという感じです。人間はいろいろな生き方ができるものだと思います。



日本の夜市、見世物小屋、旅芸人一座と同じように、台湾においてもアジアの放浪芸は存在していたのだと思った。民衆のたくましさが表現され、生のエネルギーがあふれたシネマと思った。



この映画に関しては、特にありません。社会的メッセージが何かあるのかどうか?今後とも良い映画を期待します。



社会の通常の構成員からはずれた存在というあり方なのですが、今の日本の社会には、こういった人たちがすっかりいなくなってしまいましたね。古くて遅れた社会と言うこともできますが、今の世の中の息苦しさとは、ちょっと違う生き方にすこしほっとします。



前半少しぼんやりして見えたが(こちらのせいかもしれませんが)、後半引き込まれた。とても良い映画でした。



旅芸人の魂と日常を、これほどまでえぐり出した映画は他に類を見ない気がします。撮影が実に素晴らしい!



まるでロードムービーの様で面白かったです。



すごく疲れたけど、こんな世界・処があって生活してる人がいる。蛇の場面にちょっとショック、でもやっぱり人間がしている、特別な人ではないんだなーと。自分を傷つけて生活していること…。知らない世界だった。



遠い昔に見たことある様な風景でした。面白かったです!



どっこい生きている。



日本風に云えば香具師達の生き様が印象深かった。映画の中の音楽が殆ど日本の歌で、台湾・・・以下、読解不能。



何故、台湾ではナンバープレートのない車が走っているのだろう。



年齢未記入




若い時台湾の台南の田舎でホームスティしていました。その時の雰囲気が思い出されて楽しい?なつかしい気持ちでした。魅力的な国です。



‘91年頃、台湾東部を旅した頃を想い出した。小さな街でも必ず夜市があり、片すみで、パオジャンフーは見なかったけれど、京劇や歌謡ショーなどの旅芸人が夜を盛り上げていた。あやしさと、やさしさと、人間が生きて働くエネルギー。当時の匂いまでも想起させる映画だった。カメラマンの視線がすごすぎる。



半世紀前の「旅芸人」を思い出しました。楽しく観ました。そして昔の日本の風景のような話し、おもしろかった。



24年前の映画ですか!!今は、ジャンフーはどうなっているのでしょうか。楽しかったです。



葉さん一家の「生きる熱量」をとても感じました。アレンがいなくなったら成り立たないな…と少し心配ですが。アホンは役に立ってないし。たむらまさきさんが好きで、ぜひ見たいと思っていました。ありがとうございました。



北方シネマに行ったことはありましたが、東田シネマは初めて来て映画を観賞しました。『旅するパオジャンフー』は観る前からあまりイメージがわかない作品でしたが、観終えた後もよく理解できないところが多かったです。けれど、その分ゆっくりと考えさせられる作品だと思いました。



生きる事、を考えさせられる。生きるエネルギーの大事さを感じる。



半世紀前の「旅芸人」を思い出しました。楽しく観ました。それ程さかのぼらなくても、日本にも大道芸人を祭りなどで見る事がありました。



「フーテンの寅さん」を家族でやってるところが面白い。



眠たかったが非常におもしろかった。日本の曲を翻訳(全然違う意味になっていたようだが)して、ダンスに使ってあるが、そこで目が覚めた。政治がからんでいたことや、修行中の娘が死んでしまう怖さもあることが垣間見えた。もう25年位前になるのだろうか(制作から)。いつか見た見世物小屋の一座のドキュメントを思い出した。もう“記録”でしか残らない世界なのだろうか。



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